暴力のカタルシス、自分へのレクイエム

なぜ暴力をふるう人間は、暴力をふるう時にカタルシスを感じるか。

 

それは、レクイエムになるから。

 

暴力をふるう人間は、暴力にとりつかれるかたちで暴力を全肯定する。

暴力をふるうことで、過去に自分がうけた暴力も再度肯定される。

(暴力をふるう人間は、かならず過去におなじ暴力をふるわれている

−むろん、もっとも酷い暴力は、精神を殺し魂を殺すたぐいの暴力だ。

それは、もっとも守るべき存在に対して行われ、被害者は、加害者を愛していたからこそ、その暴力を受け容れる。)

「あれは良かったんだ」と。

 

だが、それは過去の自分の魂を、もう一度殺すこととなり、

今の自分の魂も、殺すこととなる。

 

ひとりの人間のなかに、すべての過去の時間の自分がいるものだ。

過去と今、ふたつの時間で、もう一度魂をみずから殺してしまう。

しかし、自分を殺したものである暴力だけは肯定される。

そして、その暴力を行使しているという自分の一部分だけが、肯定され、カタルシスとなる。

 

 

暴力の特徴、けっして強い存在には発揮されない。

自分より弱い、傷つけてもよい存在を嗅ぎ分ける嗅覚。

暴力は、カタルシスなしには起こらない。