ボルヘスを読んで

 ボルヘスを読んで、最初に気に入ったのは、第一に、彼が「空想の本」を題材にしていたことである。具体的には、百科事典、しかも謎の海賊版の(通常の版には記載のないはずのウクバールなる地名、国名が記載されているページが存在する)百科事典のウワサを、友人から聞き出したという出だしである。「謎の本」をめぐる冒険譚なのだ(そして、実際の行動としては、たとえばインディ・ジョーンズのようなアクションをしていない点が実に頼もしい。自分で切り拓く冒険ではなく、まわりのほうがぐいぐいと変わったり、変なウワサやそのウワサの中身の実物がむこうのほうからやってくる。つまり、運命のほうが自分に押し寄せてくるのが、実に特徴的で、この点ではインディより「動かない」岸辺露伴に近い)。

 

 最初に気に入った点がボルヘスが「空想の本」を題材にしたことと書いたが、第二に気に入ったのは、その「空想の本」(百科事典)に書かれているのが、「空想の地名、空想の国、文化、歴史」であることだ。ここまで「空想」と書いてきたが、作中ではむろん、「どこかに実在するかもしれない本」と、そこに記載されている「どこかに実在するかもしれない国」として主人公の前には現れる。「ウクバール」なる一つの名前に、国、文化、歴史、そして、、、未だ現代人には隠されている「失われた」科学、「失われた」技術、そして世界観がまるごと変わるような「失われた」哲学なるものが、断片ではありつつも綿々と読み解かれていく。百科事典をついに手にした主人公は、インディのようにムチを手にして洞窟を進むのではなく、本を手にして本そのものである洞窟を進むのだ。やがて、この「ウクバール」なる地名が書かれた別の書が発見される。この第二の書も、また百科事典の一種らしいが、そこではウクバールは、実はこの地球上の国ではなく、地球とはちがう別の天体の記述なのではないかという事実がほのめかされていく。ここまで来ると、一体この「本」は、どういう理由で、どういう意図で、主人公に、1941年のブエノスアイレスに住む主人公に伝わったのかが、壮大な謎として押し寄せてくる。

 

 ここまでがこの話の前半部分だ。実は後半、さらにもう一段階、現実と仮構というべきか、主たる世界観と異説世界観というべきか、あるいは「常識」と「陰謀論」というべきかが、入れ替わる、ひっくり返る展開が待っている。もはや、ボルヘスに読者が付いてゆけない、その後半に触れる前に、私が気に入った第三の理由を記しておきたい。じつは、私も子どもの頃、「空想の島」を古地図・古文書から見つけあてて、旅をしにいく科学者と哲学者の「空想の小説」を書いたことがあるのだ。それは、「謎の火山島」という名の未完の小説で、確か十歳のときの学校の国語の宿題で書いたものだった。C.ドイルやJ.ヴェルヌの空想探検小説を母が持っていて(それがまた母が小さい時に祖父から買ってもらった、いかにも戦後すぐの頃の装丁の本)、それをまた読んでいた私はそこから直接の想像力の源泉を借りている。その原稿はどこかに行ってしまい、確か七、八年前に今はもう無い祖母の家のどこかで目にした気がする。けれども、その物語は、ヒントを外に借りていたにせよ、とても不思議なことではあるが、私の中を通じて生まれた土地、島、港町、大学、二人の学者とその子どもたち、海賊たちなのであった。実は、なぜ未完に終わったかというと、いろいろな冒険の末に、ついに「謎の火山島」にたどりつくのであるが、その島が私たちのものとは違う未知のどんな景色、自然、そしてそこにおそらく人が住んでいるのであるが、かれらがどんな文化、歴史、言葉、そしてどんな愛情をもっているのかをまったく書くことができずに、そこで筆が止まったのが原因だったのだ。

 

 四十二歳の今は、実は私の筆が止まった原因は、今までこうした空想探検小説を書いてきたほぼすべての作家たちが立ち止まった壁だったことがわかる。トマス・モアの『ユートピア』にせよ、ディドロの『ブーガンヴィル航海記補遺』にせよ、こうした作品は自分たち自身の文明を映し出す「鏡」(ここでボルヘスに戻る。。。ボルヘスの小説に出てくる謎の百科事典も、最初に「鏡」が謎めいたキーワードとなる)として、未知の世界を描きだしてきた。(全く逆に、人を寄せ付けないような生命の途絶えた世界として描くパターンもあるにはあるが)私も、あらゆる未知を描こうとしてきた航海士がに立ち塞がってきた壁に出会ったわけだった。そして、たぶんそこで冬休みが終わり、途中でもいいので「宿題」を提出せねばならなかった。

 

 だが、今なら書けるかもしれない。ボルヘスがヒントをくれた。

 未知の土地のリアリティは、おそらくそれを求める人のそれぞれの胸の中の問いにこそある、と。その胸の問いが科学的好奇心であれ、哲学的探究心であれ、心の傷であれ、それらの問いの鍵穴に答えてくれるような鍵をもつ人、場所、物語がすでに待っているような場所として、未知の土地はリアリティを初めて持ち得るのだろう、と。