家の闇と文明の闇

 

雑誌『野褐』をめぐって、親族に生まれたある特殊な場や思想、それらをひっくるめて〈野褐〉とは何であったのか。それが、従来の「戦時下抵抗研究」が射程としたような、天皇制や戦争体制への反対や抵抗ではなく、むしろ多様な思想、あるいは思考の芽を含む言葉が編まれた雑誌『野褐』は、だとしたら、一体〈何〉への抵抗であったのか。それが家という場で起こったことの意義は何なのか。

 

·        家の闇

 

旧約聖書『ヨブ記』のヨブの言葉、「神よ、あなたはなぜここまで私を苦しめるのか」をまず引用したい。ただし、われわれの文脈では、神への帰依や、受難の賛美のためではなく、「神」として表象されている存在は何者かを問うために引用したい。

苦しめる神。そのうえに、【私から呼び求めさえされる神】。一体何者なのか。〈ストローク飢餓〉の大人以外の何者でもないのではないか。しかし同時に、多くの思想や哲学を誘った物語でもある。

 

子を苦しめながら、子の呼び求めが欲しくてたまらない親のような存在として、旧約の神を〈ストローク飢餓〉の原型として(まさしく神話的元型として)問題化する試みを、私は続けてきた。

 

世代をまたぐ暴力イサクの物語(子を見ないで殺そうとする父の物語、旧約聖書における父子・親族・さらにはユダヤ民族性の基軸となるストーリーとなっている)

トビトの物語(子が父の目を癒す物語、「イサクの物語」に対する反=物語)

創世記メモ(「見て」、「良し」という神)

創世記メモ2(善と悪)

創世記メモ3(「目」が開ける時)

 

見ての通り、これらの文章には、家族における最大の問題は、親が子を「見る」ことなく暴力を働くことであり、「見る」ことを取り戻すことこそが家の闇を払うことだ、という問題意識がある。

〈ストローク飢餓〉は、交流分析の中心概念だが、もう一度この文脈での意味・意義を明確にしておきたい。

 

    

 

松岡正剛氏は、『ヨブ記』に対するカーライル、ユング、ラカン、レヴィナス、最後に内村鑑三の読み方を並べている。

 

「カーライルは「高貴なる一書、万人の書」と言った。読み終われないところを絶賛した。ユングの『ヨブへの答え』は穿っていた。ヨブは神自身が気づいていない神の暗黒面を見いだし、神は人間のヨブが神を追い越したのではないかと感じただろうと言うのだ。「ヨブ記」によってユダヤ教の神は「人間」の至高水準に向かうべきだ(降りるべきだ)というふうになったのではないか、それがイエス・キリストの誕生になったのではないか」(松岡正剛『文明の奥と底』角川ソフィア文庫、p.10

 

その他にラカンとレヴィナスに軽く触れているが、この中で、明らかにユングが決定的なことを言っている。ユングだけが、神の暗黒面(私からすれば、神が実は〈ストローク飢餓〉の大人であったこと)を明らかにし、さらには人間のなんらかの「進化」について書いている(それは人間が「至高の水準に向かう」ということなのだが、進化というより、「本質に戻る」「本質に還る」と言うべきとも思う)。

そして何より、ユングは「誕生」に触れている。「新しさ」と「誕生」は、ハンナ・アーレントの活動概念を、その他の熟慮型民主主義や対話理論から全く区別しているものだ。

 

ところが内村は「艱難の本質」と捉えた。内村は、ヨブ記38章の神とヨブの対話で「見神」を体感したという。見神とは、「人が神と一体化したと感じること」だが、この「一体化」の正体は「ヨブは神の真の下僕であることを、そのことを疑わなくともよいことを確信した」ということである。このことの、最も世俗化した現象が、「母子カプセル」「親子の一体感」なのである。松岡氏は、内村がヨブ記を「自分で引き取った」ことこそを評価していて、それが他の知識人の単なる「知的な解釈」とは異なる「本来の読み方」であるといっている。

 

しかし、ヨブ記は「自分で引き取ってはならない」のだ。

 

    

なぜ「悪」の概念が必要か。これこそが重要な問いだ。

 「悪」は、自分で引き取ってはならない。ドゥルーズが、スピノザの『エチカ』の最大の要諦としたことは、このことだった。(ドゥルーズ『スピノザ 実践の哲学』pp.32-54、また、拙論文「スピノザの哲学と罪責感の癒し」(『新薬と臨床』74(1), 2025)参照。)

 

アーレントは「根源悪」という概念をなぜ必要としたのか(『全体主義の起源3』)。それは、「絶滅収容所」の明らかな残虐ぶりをあらわすためという一般的理解ではなかった。歴史上類の見ない全く新しい現象を説明するために必要としていたはずだ。

また、家永三郎1930年代〜45年までの日本を「暗黒の時代」と呼んだときの暗黒とは何なのか(『太平洋戦争』、他、多くの論文において)。言論(の自由)なきことが暗黒ということなのか。家永によるその説明は少ないが、そのような説明を要さないほどに、(むしろ説明の言葉も奪われるほど)それが体感されるくらい、当たり前のことだったのか。であるとしたら、「光明」とは何なのか。言論なき暗黒に射す光明は、何なのか。

そして、この「暗黒」は、やはり「根源悪」と言うべきではないのか(歴史上としては言論の自由が奪われるということはありふれているのだから)。

 

 

·        文明の闇

 

松岡正剛氏は、フロイト『モーセと一神教』の読解として、次の結論を書いている。

 

「フロイトは父ヤーコブからの脱出を、全人類史の主要な一部ともいうべきユダヤ民族の父殺し(モーセ殺害)を幻視することによって、なんとか正当化しようとしていたのだ。『モーセと一神教』は、フロイトの周到きわまりない精神史的家系論の仕上げだったのである』(松岡正剛『文明の奥と底』p.26)

 

フロイトは、ユダヤ民族が、その父たるモーセを殺害し、そのことで真に「ユダヤ民族」のアイデンティティを確固たるものとしたという仮説を書いた。しかし、そのことをとおして最晩年のフロイトが精神的に実行したのは、フロイト自身の父からの抑圧を克服せんがため、モーセをとおして、精神的に父を殺し、そのことでフロイト自身になろうとした、というのが松岡氏の結論である。この結論は氏を震撼させた。精神分析家であるフロイトが、我田引水的に、モーセの神話を父子コンプレックスで読み解いた、とか、モーセの神話解釈にかぶせて、自分自身のコンプレックスを解消せんとした、という話なのではない。そうではなく、ユダヤ民族という民族のアイデンティティ・ポリティクス、ありはもっと拡大して、「文明」の駆動力は、父(ないしは親)―子の引き裂きと、そこに生じた闇の力こそをエネルギー源にしているという推測が、ここでなされているのである。

一見、『モーセと一神教』において、フロイトは、「文明の闇」ではなく、「精神の闇」を問題にしたかたちを取っている。しかも、遠い昔の祖先である「かれらの闇」ではなく、「自分の家の」・・・いや、そこからむしろ普遍的に「家の闇」こそを問題にした。

だが、実は「文明」とは、「家」そのものだったのではないか・・・?この予感をフロイトが持ったことは、十分ありえる。

それどころか、「家の闇」を駆動力として、文明は駆動し続けてきたということが、フロイトの真の結論ではないだろうか?

 

    

もし、1930年代から45年までの日本で進行した事態が、一種の「家の破壊」だったとしたら?

この場合の「家」は、社会学者が明らかにした家父長制(天皇制と結びつきながら、家族をジェンダー化しつつ戦争に動員したイデオロギー)のことではない。国家と結びついた家父長制は、戦時下においていっそう強化された。このとき破壊された「家」というのは、もっと繊細なものである。

表現が難しい。社会学・社会史の成果において、「家」は普遍的なものではない。だが、私がここで書こうとしている「家」は、たとえば「愛情」とか「保護」とか「懐かしさ」とか、より原郷的・原始的なものである。

1930年代から45年代の日本で進行した事態が、この意味での「家の破壊」であったとしたら(国家政策によって、家族が離れ離れにさせられ、それを万歳させられ、死ぬか殺すか殺されるかの経験にさらされた人々において、どうして「家」が破壊されないで済むだろうか?)、ここにはある種の「悪」を見出すべきではないだろうか?家を破壊すれば、家の闇が生まれる。家の闇を駆動力にして、文明が駆動する。そこには明確な「悪」があると言うべきではないだろうか。

 

    

雑誌『野褐』が光明たりえたのは、そこに言論があったからだけではなく、闇への抵抗としての真の活力があったからなのではないだろうか。

(それをどう呼ぶか。悪の定義、闇の定義。悪によって闇が生じる。闇は「凡庸」を生む(アーレント『イェルサレムのアイヒマン』)。パターンとしての繰り返し。)

 

哲学は闇への抵抗(対抗)であることを自覚するとき、輝く。ほんとうのことへの問いかけそれ自体が、「うそ」の力や勢力を破ることなのだ。

哲学が真理を求める学問であることを忘れては、哲学は無意味そのものになる。なぜ2500年前や1000年前の哲学者の文章を、今日新鮮に読めるのか?それは、この世界に真理はいつも在ったが、様々なうそで隠されてきて、同時にそれを掘り起こそうと努めた人も常にいたからだ。