2026/06/13
 雑誌『野褐』をめぐって、親族に生まれたある特殊な場や思想、それらをひっくるめて〈野褐〉とは何であったのか。それが、従来の「戦時下抵抗研究」が射程としたような、天皇制や戦争体制への反対や抵抗ではなく、むしろ多様な思想、あるいは思考の芽を含む言葉が編まれた雑誌『野褐』は、だとしたら、一体〈何〉への抵抗であったのか。それが家という場で起こったことの意義は何なのか。
2026/04/26
(はしがき) 思考という経験を、哲学者は語ってきたと思うのだけど、実はこれはまだ、「隠されている能力」なのかもしれない。 以下は、workflowyに置いた文章の引用である。 思考、いまだ知られざる、生を生きるための武器

2026/04/04
 『野褐(やかつ)』は、私の祖父・祖母が二十歳の頃、いとこ同士でつくりあげていた一種の同人誌です。『野褐』という奇妙な名前は、倪雲林(げいうんりん)という14世紀中国の画家の詩の一部を取ったもので、この詩は、祖父・祖母の叔父にあたった高橋清七が愛し、自分の雅号(ペンネーム)にもしていたものでした。...

2026/01/25
 『野褐』創刊号における明峯俊夫氏のテクストは、きわめて多面的である。軽妙洒脱な文章があたかも変奏曲のように繰り広げられ、最後に、シリアスな「真実の言」という節が置かれている。...
2026/01/18
## エピグラフ 生まれては死んでゆく人間に与えられた時空のなかで思考活動によって踏みならされていった小さな見えないくらいの「非-時間の小道」… ――ハンナ・アーレント『精神の生活』(上)
2026/01/12
 『精神の生活』の「〈一者のなかの二者〉」という節で、アーレントは、考えないことと、悪との間の関係は何なのかを、引き続いて考察している。...

2026/01/11
 モンテーニュは、『エセー』を書き始めた初期、「精神の立て直し」をしていたという*1。その立て直しの中から、エセーがはじまった。38歳。書くのは「自分を知るため」、自分を知るのは「生活をつくるため」だったという*2。私も、また、同じような思いで、『エセー』を読み始めたのだった。 *1 保苅瑞穂『モンテーニュ よく生き、よく死ぬために...
本を読む · 2024/12/22
## 蛇と神  「主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった」『創世記』第三章はこうして始まる。だが、蛇と神がどちらが本当のことを言っていたのか。神は「善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言ったが、蛇は女に「(それを食べても)あなたがたは決して死ぬことはないでしょう」と言っている。ここだけを比べるならば、本当のことを言っていたのは蛇である…
2023/04/06
「力」を求めるのか? それとも「壊れやすさ」の中にある「強さ」を見て取るのか? 前者は、見ず(たとえ見たととしても、否定するために見る)、求める。 後者は、すでにあるものを見る。その違いは大きい。 物語の中のような人だ、ニーチェは。その物語は、「極北の民」が主人公の物語だろう。 ***...
2023/01/15
ボルヘスを読んで、最初に気に入ったのは、第一に、彼が「空想の本」を題材にしていたことである。具体的には、百科事典、しかも謎の海賊版の(通常の版には記載のないはずのウクバールなる地名、国名が記載されているページが存在する)百科事典のウワサを、友人から聞き出したという出だしである。「謎の本」をめぐる冒険譚なのだ。

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